『 アカ 』









「・・・あ、開いてる」


仕事が終わり、夕飯の買い物を済ませて帰ってくると家のドアが開いている。
といってもカギが開いているのではない。
本当にドアが少し開いているのだ。
引き戸を勢いよく閉めたせいで反動で半開きになったのをそのまま放置した結果だ。

「ドアが壊れるから止めてって言ってるのに・・・」

は眉をひそめて中に入った。


アイツが来てから生活の調子が色々と狂わされている気がする。
元攘夷派として戦ったことのあるは、以前から高杉と顔見知りだったが、戦争が終わってから高杉は姿を消して、
次にが高杉の顔を見たのは指名手配書だった。

バカなことを。こんな事したって何もならないのに。

そう思ったけど、特に気にすることも心配もしなかった。多分もう会うことは無いだろうから、と。



しかし残念な事にそれっきりにはならなかった。



ある日突然、何の前触れもなく高杉はフラリとの家にやってきた。
どうやって調べたのかと聞いても高杉はニヤリと口の端を上げただけだった。

あれから高杉は家主の許可もなしにの家に勝手に居ついてしまった。
その上こっちの動きや都合なんてお構いなしに好きなように動く。
急に数日居なくなったかと思えばまた戻って来たり。

そんな状態がここ数ヶ月ずっと続いている。
最初はきれいに無視していたが昔の馴染みを完全無視というのも多少心が痛むので、
今はそこそこ向こうの存在を意識した生活はしている。


「アイツの態度が全く変わらないのが、ぶっちゃけシャクですがね……」


誰に言うでもなく、1人で悪態をつきつつ家の中に入ると案の定薄暗い。



「電気ぐらいつけろっての」



小さい呟きも静まり返った廊下ではよく響く。

そう言ってはみるものの、半開きのドアも放置されたまま暗くなった家の中も高杉らしいと言えば高杉らしい。
キチンとドアが閉まって、電気がつけられた部屋の中から迎えられでもしたら気持ち悪いったらない。


はそのままキシキシと廊下を進む。
今しがた買ってきた夕飯の材料をしまおうと台所に向かう。












と、急に通り過ぎようとした部屋から名前を呼ばれた。
そのまま無視しても良かったが、それが後で面倒なことにでもなったら嫌なので軽く溜め息をついて部屋を覗く。



「なぁに。この荷物しまいたいんだけど」

「んなモン後でいいだろうが」



見ると、真っ赤な西日が差し込む部屋で煙管を吸う高杉の姿。

この男はどうしてこう、陰気な薄暗さや狂気に満ちた西日が似合うのだろう。



「座れよ」



壁にもたれたまま、こちらを見る様子はない。
また一つ、溜め息をついて、ガサッと食料の入った袋を入口に置く。



「買ってきた魚、腐ったらアンタのせいだからね?」



そう言いながら、窓際に横向きに座って外を眺める。
山にかかった夕日はその日最後の強い光を放っている。



「何か話でもあるの?」

「別に」

「何もないのに呼び止めるな」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・昨日どこ行ってた」

「は?」

「昨日だ。お前居なかっただろうが」

「・・・・・・別に」



聞きたいことがあるならすぐに言えばいいのに。
くやしいから高杉と全く同じ返答をしてやった。

顔を見なくても、しかめ面してるのが雰囲気で分かる。
高杉はたいそうワガママな奴だから、自分はこういう態度するクセに、人にこう答えられるのは嫌いなんだ。



「わざわざアンタに言うような事じゃないでしょ」

は高杉の方を振り向きもしないで、窓の外の夕日を眺めたままシレッと答えた。

残念ね。
私はそこらの町娘とは違う。
その程度の殺気じゃ動じないし、アンタのそういう顔にも慣れっこ。
一体何年アンタの傍に居たと思ってるの?






窓を少し開けると夕暮の涼しい風が入って心地がいい。
と、いうか窓を開けもせずにどっかの誰かが煙管を吸ってるせいで、この部屋の空気は悪すぎるんだ。



「いい風・・・」



額に風を受けながら、はまた少し窓に手をかけて半分ほどまで開ける。



「・・・おい。寒ィだろうが。閉めろ」

「嫌です〜。こんな空気の悪い部屋にいられませ〜ん」

「・・・」

「・・・」


さっきよりも更に増した殺気を背中に受けつつ、高杉にここまでタテつける女は私くらいだろうなぁ、とぼんやり思った。

正直、後ろにいる高杉よりも顔に受けている心地の良い風に意識がいく。
高杉が寒がりだとか、そんなの知ったこっちゃない。

いつもならもっと言い返したり、脅しのセリフの吐くはずの高杉が今日はあまり話してこない。
一体どうしたのか気にはなるけど、でもこれはこれで静かでいいや、と思う。


暫くの間、部屋には黙ったままの2人と、夕日の赤い光だけが浮かんでいた。


(・・・ああ・・・なーんか眠くなって来た・・・・)



あんまりボーっとしていたので、ついウトウトしたけれど。





「おい」





急に聞こえた声があまりに至近距離だったので驚いて目が覚めた。



「・・・・ッ!?な、何よ急に、驚かさないでよ・・・・!」



振り返ると高杉は窓のへりに両手をついて、覆いかぶさるようにを見下ろしていた。



「それ、どうした」


見下ろしたまま、意味ありげな言葉を吐く。


「・・・何・・・わけ分かんないこ…」 
「とぼけんじゃねェ」

「え、あっ!?」

高杉はいきなり乱暴にの左肩の着物をはだく。



「・・・やっぱりな」

「・・・」



そこには幾重かに巻かれた包帯。





実はは昨日の帰りに暴漢に襲われた。
たまたま仕事が遅くなり、帰る時にはあたりは真っ暗だった。
闇夜に紛れて、恐らく金銭目的だろう。数人の男に囲まれた。


(馬鹿な奴らだったなァ、私に喧嘩ふっかけるなんてさ)


いくら戦争か終わって何年も経っているからって、そうそう腕はなまらない。
相手は全部で5人。この位なら朝飯前だ。


・・・普通の状態ならば。


最後の1人に向かおうとしたところで、運悪く草履の鼻緒がブチリ。

一瞬バランスが崩れて相手の一太刀を左肩に貰ってしまったのだ。
もちろん、その後3倍にしてお礼を返してやったが。

病院にも行ったし、昨日の帰りが遅かったのはそういうワケだった。



「・・・」

「・・・」



高杉は言ったまま動こうとしない。
どうして分かったのだろう。そんな素振りは見せなかった筈。


「馬鹿が。いくら演技したって俺に通用するか」



・・・・・人の心が読めるのか?コイツ。
そう思って、軽くため息を吐く。



「はぁ〜。そりゃまた結構な洞察力で」



また怒るかしら、こんな言い方したら。

そう、思ったけど意外にも高杉の表情は変わらなくて。
むしろ表情の雰囲気が変わったのはそんな高杉を訝しげに思ったの方だった。









外からはカラスの泣き声が遠くに響く。
夕暮の風が二人の前髪を揺らした。

サラリと流れる高杉の髪。悔しいけど、意外と綺麗だといつも思う。


けれど、こんな間近でそれを見たのは初めてで。






「・・・っ・・・高杉、いい加減どいて・・・」





急にこの距離が近すぎる様な気がして、身を捩る。
が、すぐに手首をグッと高杉に掴まれた。



「・・・!! たか・・・」

「・・・誰だよ」

「・・・・・え?」


の手首を掴む高杉の手にさらに力が込められる。



「・・・誰にやられた」

「・・・」


いつもより、低い声にゆっくりとした口調。
真っ直ぐにを見下ろす瞳は夕日で朱色に揺れて。

・・・・憎い者を殺そうとする、獣のような赤い目。


けれど。



その瞳の奥にはどこか、そう、本当にわずかではあるけれど。
優しい光は宿っているようにも見える。

を映したその瞳には。



「・・・わっ、分からないわよ・・・行きずりの人間だもの・・・」



高杉の視線に耐えられなくなって、は思わず目を逸らした。
が、次の瞬間。



「!?」



掴まれた手首を乱暴に引かれて、そのまま床に押し倒された。





「・・・・勝手なマネするからこんな事になるんだぜ?」

「かっ、勝手って・・・・どっちがよ!!何なのさっきから!言いたいことがあるならさっさと・・・・・・・・・っていうかどいて!!」

「ガタガタうるせェ女だな・・・・・」

「・・・・・・っ!!ちょっ・・・!!」



シュルシュルと音を立てながら高杉はの肩に巻かれた包帯を取る。
そこにはまだ真新しい傷が生々しく残っている。
少しヒヤリとした外気に傷が触れては一瞬顔をしかめた。



「高杉、いい加減にして・・・・!」



逃れようと高杉の胸を押し返すが、傷を負っている今の状態ではの力などたかが知れている。



「・・・・・・っ・・・・!」



突然、傷がピリっと痛む。
の肩に顔を埋め、高杉の舌がその傷をそろりとなめ上げる。

傷口に生暖かいネットリとした感触。
ピチャリと淫猥な水音が嫌でも耳に入り、かすかな痛みと恥ずかしさで頬が上気する。


「テメェがどこで何しようが構わねェが、体に傷つけんのは許さねェ」


傷に唇は軽く触れたままで呟く。


「・・・・・・・あんたに許してもらう必要なんかないわよ・・・・」



は潤んだ瞳で高杉を睨みつける。



「・・・ククッ・・・分かってねぇな・・・」



高杉はの顎をつかみ視線を無理に合わせて、いつものあの不気味で不敵な笑いをして見せた。




逃げたく、なる。




けど。





高杉の姿が。





窓から差し込む夕日がつける陰影と、纏う朱色の光があまりに妖艶で。

目が、離せない。




ダメ、ダメ、ダメ・・・



の心臓が早鐘を打つ。
ダメだと警鐘を鳴らすかのように。




「天人共と戦ってたあん時からなァ・・・」







心が呑みこまれたみたいで、体が動かせない。







「テメぇの心も・・・・・・」







胸の奥がジリジリと侵されて焼けるよう。







「・・・躰も俺のモンだって決まってンだよ。」






口の端を上げて、獣の瞳を向けながら






「勝手に傷をつけんじゃねェ・・・・」





唇が触れる程に耳の近くで低く囁く。

























・・・ああ、もう、駄目だ。



後悔してももう遅い。



もっと早くに覚悟を決めるべきだったんだ。



高杉がまた私の前に現れた時点で。





「・・・・・・」

「・・・っ・・・!!や、め・・・!」











夕日はすでに山の向こう



名残惜しい鈍い光を山の端に残し



長い夜の始まりを告げる










「二度とこんなマネできねェように、キッチリ教えてやるよ。・・・・・テメェの躰にな・・・・・」











もう、二度と。


離れることなんて出来はしない。


夕日のアカは、狂気のアカ。


私はこいつのアカに全てを呑まれた。


陰鬱で不気味で






















優しい、アカに。



























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土方さんの『夕暮れ』に続き夕暮れシリーズです。
どうも高杉さんの話はエロくなる。